あの後、少しして。俺はノーヴァスが吹いた笛のことを考えていた。この笛を吹いた途端、シャロンの様子が変わった。シャロンの行動を制御する力があるのかもしれない。 そう思って、俺はノーヴァスが手にしていた笛を拾っておくことにした。 「レイちゃん、本当に大丈夫なの?」 その直後。放心状態から脱した火乃木が俺に話しかけてきた。 「ああ、どうにかな。もっとも右手だけだと何かと生活に不便なことがありそうだ」 ノーヴァスの館の前で俺は火乃木にそう言い聞かせる。 俺の左手はひじから先はなくなっていた。 これから生活が大変になるな。腕のいい人形師に新しい左手を作ってもらわなければ。 「ネル。悪いがシャロンをおぶってやってくれないか。流石に片手ではシャロンを抱えてやれないから」 眠っているシャロンに目を向けて、その視線をネルに移しながら俺は言った。 「オッケ」 「本当に……その子保護する気なの?」 「ああ、本気だ」 「……」 火乃木は俺から目をそらす。 火乃木が何を考えているのか大体分かる。いや、火乃木でなくとも、アレ《シャロンの力》を見たらそういう反応をするのは当然だろう。 この状況。俺達以外の人間はほぼ全滅したとみて間違いないな。 俺と火乃木とネルを残して、この場にいた人間は全て死んだ。シャロンの人知を超えた力のせいで。 今思えばあの力はシャロンの復讐だったのではないかと思う。今まで人間として扱われなかったことに対するシャロンの復讐。切っ掛けと方法はどうあれシャロンはそれを実行してしまったんだ。 それが正しかったとか間違ったとか言うつもりはない。ノーヴァス等を弔うつもりもない。 予想できない未来に運命なんか存在しない。しかし……。終わってしまった過去は宿命でしかない。そして、この結果はきっと必然だったのだ。 「クロガネ君。これからどうするの?」 「ノーヴァスの館に入ろう。ちょっと調べたいこともあるしな」 「よし、じゃあさっそく行こう。時間がもったいないからね」 「うわっこんなフカフカなベッドで寝たことないよ」 「俺だってねぇよ」 「私も……」 適当な部屋を誰にも許可なく借りる。許可を取る相手がいないのだから当たり前だが。 ネルはやさしくシャロンをベッドに寝かせる。1人で寝るには大きすぎるから俺と火乃木とネルはそれぞれベッドの空いているところに座った。 「とりあえず、今後のことを考えようと思う」 ネルと火乃木ははっきりうなずいた。 「俺はこの館内にあるシャロンに関する資料ともう1つ、あの赤いスライムに関する資料を探そうと思う」 「そんなのここにあるのかな?」 「あるはずだ。この広い森で、人が住めるのはこの館だけだ。これだけ巨大な館だし、地下室の類《たぐい》だってあるかもしれない」 「クロガネ君。1つ聞いていい?」 「なんだ?」 「その資料どうするつもり?」 「どうするって……」 「シャロンちゃんは人間じゃない。それはよく分かった。私はシャロンちゃんのことを口外しないし、シャロンちゃんが何者なのか追及するつもりもない。だけど、クロガネ君はそれを知ろうとしてる。それを知って、その資料を手に入れてどうするの?」 「………………」 考えてみればそうだ。 俺はシャロンが何者であれ助けるつもりでいた。だったらシャロンの正体なんか突き止めなくてもいいんじゃないのか? けど……1つ不安なことがある。 シャロンは人間と同じ生活が出来るのかと言う不安。いや疑問が。 人間ではないシャロンに人間と同じ食生活、同じ住環境、同じ生活が果たして通用するのか。 「どうするつもりって言うより、確かめたいんだ」 「何を?」 「シャロンが人間として生きていけるのかをさ」 「ふ〜ん。まあ詳しくは聞かないけど、それがシャロンちゃんのためになるって言うんだね?」 「ああ、そう言う事だ」 「ね、ねぇレイちゃん……」 「ん?」 俺は火乃木を見た。しかし、相変わらず俺と視線を合わせようとしない。と言うかどこかよそよそしい。 「その資料が見つかって……シャロンちゃんのことを知ったとして……だよ?」 「うん」 「シャロンちゃんをどうするの?」 「どうするって……?」 「だ、だから……預かってくれるところが必要じゃないかなって思って……」 「ああ、そういうことか」 シャロンを預けるところか……か。 孤児院は……いや、やめたほうがいいかもしれない。確信はないがそんな気がする。なら……。 「叔父《おやじ》に預けようと思う」 「お、おじ様?」 「ああ」 「ほんと?」 火乃木はなぜか身を乗り出して聞き返す。 「……? ああ、本当だ」 「ほんとにほんと?」 「ほんとだっつの!」 ん? 火乃木の顔妙にニヤついてないか? いやまあ、何を考えているのか分からなくはないのだが……。 「あ、ああああ! そ、そっかぁ! おじ様に預けるんだね! う、うん! わかったよ!」 俺の怪訝な表情を悟ったのか火乃木は即座に俺と距離を開けてどことなくいいわけじみたことを言った。 「はは〜ん……なる、ほど、ね……」 ネルまで含み笑いを混ぜながらニヤニヤしている。一体なんだというんだ……。 「と、とりあえずそういうことだから。俺は早速館内を探し回ってみようと思う。火乃木とネルはどうする?」 「私は少し、この子のそばにいるよ。一人にはしておけないしね」 「あ、レイちゃん。手伝うよ」 「わかった。それじゃあ行こうか」 「うん」 俺と火乃木は一緒に部屋から出た。シャロンに関する資料とにかくそれを手に入れなければ。 館の中はとにかく広大だ。 どこに目的のものがあるのか。そんなことはわかないから適当に探し回るしかない。 とりあえずはホールに出てみようと、俺と火乃木は今廊下を歩いている。 「ねえ、レイちゃん」 「ん?」 「ボク……またアーネスカに会えるかな?」 「どうしたんだいきなり?」 今この状況下においてまったく関係ない話題に俺は首をかしげる。 「うん。いい加減にね……」 「……?」 「背中……隠したいなって……」 あ、そうか。火乃木の背中から生えている翼。もう3日近く露出したままだったな。 変身のカードがなければ人間に変身して背中を隠すことも出来ない。火乃木は人間でありたいと思っているはずだ。だから人間ではない今の姿でいること事態がストレスになっているのかもしれない。 「ボク……また人間として、生きていけるのかなって思って……」 俺は火乃木の言葉に無言で耳を傾ける。今は黙って話を聞くときだ。 「そんな不安がね、ずっと頭から離れなくてさ……」 まったく……考えすぎだっつの。俺より背でかいくせに。関係ねえか、それは。 「お前のことを蔑《ないがし》ろにしているつもりなんてない。お前だって俺の大切な家族なんだからさ。だから……」 こういうシリアスは俺らには似合わん! 「そんな顔するな!」 俺は火乃木の背中を強く叩いた。 「ウワッ! い、いったぁー! なにするのさ!」 「さーて! さっさと探しモンするぞー!」 俺は早歩きで歩き出した 「あぁ、待ってよぉ!」 俺は追いつかれまいとさらに歩を早めた。というか走った。 「まぁーてぇ! ボクを置いてくなァー!」 おっかけてきやがったな。 俺はそのままスピードを上げてホールまで一直線に来た。そこで足を止め、火乃木が追いついてくるのを待つ。 「うおー! 置いてくなって……言ってるでしょー!」 火乃木が俺に追いつくと同時に容赦ないブローが腹に直撃した。 「グフェッ!」 「見たか!」 「フッ……いいパンチじゃねぇか……。火乃木……お前に教えることは……?」 いつものようにふざけようとした矢先、火乃木は真顔で俺を睨みつけていた。 あれ? なんかいつもと感じ違くね? 「火乃木?」 「……いっつも…………ずるい……」 「え?」 言ってる意味がよく分からない。火乃木は何に対してずるいと言ってるんだ? 「なんでもない!」 ありゃりゃ。機嫌を損ねちまったか。 「なんでもないなら、探すぞ。シャロンとあのスライムに関する資料をな」 「……うん!」 その後火乃木と俺とで館内を探索しまくった。 そして、何かの研究施設らしきところにいきついた。 何のために置かれているのかわからない巨大な水槽とか、フラスコとかが置かれている部屋だ。 部屋を見つけるのはわりと早く終わったわけだが、問題は資料だ。 紐で閉じられた資料が大量にあり、どれが目的の資料なのかわからないのだ。 少なくともまる一日はかかってしまうことは間違いないだろう。だから今日の探索はここまでにすることにした。 よくよく考えたら昨日から満足に腹を満たしていない。という事でまずは食事にすることにした。 「というわけで、今日の夕食はボクが作ってみました!」 シャロンが眠る部屋で、自信満々に胸を張って宣言する火乃木。 けが人に料理なんかさせられないと、火乃木が(勝手に)館の厨房を借りてその腕を振るったのだ。 「食えるもんなんだろうな?」 俺はジト目で火乃木を見た。 「失礼だなぁ! 食べられないものなんか作らないよ!」 適当なテーブルの上に置かれた少し大きめのなべ。野菜や肉を大量に煮込み、コンソメで味をつけたシンプルなものだそうだ。 まあ、確かに食えそうだが。 「ねぇ、クロガネ君」 「ぁん?」 ネルが小声で俺の耳元に話しかけてきた。 「火乃木ちゃんの料理、ぶっちゃけどうなの?」 「あいつの味覚は基本的に濃い味なもんだから、味付けを異常に濃くしている可能性はある」 「マジ?」 「マジ」 「ほらほら! 食べて食べて!」 火乃木は大きめの器になべの中身をよそって俺とネルに手渡す。 「あ、レイちゃんはボクが食べさせてあげるね」 「いらん!」 「え〜! なんでよ〜!」 「すするくらいなら片手でも出来る!」 「ダメ! そんな《左手がない》状態なんだから、ボクが食べさせるの!」 「いいっての!」 「ダァメッ!!」 なんでそんなに強気なんだよぉ! 「まあまあ、クロガネ君。好きにやらせてあげなよ」 「お前まで……」 「それだけ心配だってことなんだから。無下にするのはかわいそうだよ」 「……」 俺はそっと火乃木を見た。ジト目で俺を見ている。どうあっても自分が食べさせたいらしいな」 「わかったよ……」 俺は折れて火乃木の好きにさせることにした。 「……♪」 火乃木は俺の器にスプーンを差し込むと、自分の息を吹きかけ冷まし、それを俺の口に運んできた。 「はい、あ〜ん♪」 俺は無言で口を開けた。コンソメの味が口の中に広がっていく。 ……意外に美味い。 「どう! 美味しい!」 「信じられんことに、美味い……」 「信じられないってなんだよ〜!」 「確かに、特別濃いってわけでもないし、薄すぎるわけでもない。むしろ野菜と肉の味がしっかり出ていていい味してるよ」 ネルが素直に感想を述べる。 確かにその通りだ。昔の火乃木ならどっぷり塩をぶち込んで塩辛いとんでもないスープを作っていた。多少は成長したと言うことかな。 「昔のボクとは違うもんね!」 「はいはい、確かに成長したよ。お前は」 「えへへへ! そうでしょそうでしょ! さあ、もう一杯」 「あ、ああ……」 否応無しに俺は口を開き火乃木のスープを口に入れた。 「面白い2人……」 ネルがそんな俺達を見てつぶやいた。 食事の後、次の日のためにさっさと寝るべきだとネルが提案し、各々シャワーを浴びるなりして汗を流した後、ノーヴァスの屋敷で一夜を明かした。 そして次の日になり、真っ先に俺が目を覚ました。 火乃木とネルはまだ寝ている。 一応ノーヴァスの屋敷ということで、危険があるかもしれないから全員バラバラに別の部屋で寝るのだけはやめておいた。 もちろん夜這いなんか仕掛けていない。そんなことしたら俺のイメージに傷がつく! さて、今日でシャロンに関する資料。そして、あの赤いスライムの謎を解きたいところだが……。 果たして一日で終わるだろうか? 無数に並んだ本棚。さらに無数に並んだ大量の紙束。その中からたった一つの資料だけを見つけるのは骨の折れる作業だ。 ん? ふと俺はベッドの方に目を向けた。 そこには上半身を起こし、窓の外を眺めているシャロンの姿があった。外は晴れている。 「おはよう。シャロン」 俺はシャロンに目を向けて挨拶した。 「おはよう……」 シャロンは寝ぼけ眼《まなこ》で返事をした。 「体の調子はどうだ?」 「うん……悪くないよ……」 「そうか……」 「私……」 シャロンはバツが悪そうな表情でゆっくり口を開いた。 「ひどいこと……しちゃった……」 昨日、シャロンの力によって黒服の男達が死んだ。ノーヴァスも。そのことを言っているのだろう。 「お前が気に病む必要はない」 「……で、でも」 「あの結果はただの必然。お前が心を痛める必要はない。何より、あれはお前の力のせいであったとしても、お前自身が悪いわけではない。それに、もう過ぎ去ったことだ」 「……」 「過去に囚われるな。それでも自分が悪いと思うなら、これからお前がその力を、誰かのために役立てればいい。お前が殺した人間達への弔いと罪滅ぼしをしたいと言うのならな」 言ってて気がついた。過去に囚われているのは俺も同じであることに。 だからと言って、今更自分の言葉を訂正する気もない。 「だから、もう悩むな」 「うん……あ」 シャロンの表情がまた変わる。その視線の先にあるものに気がついて俺は明るく振舞う。 「ああ。俺の左手のことなら気にしなくていいぞ。もう痛くもなんともないから」 「ごめんなさい……」 「いや、だから……」 「ごめんなさい……」 「……むぅ」 流石に全てを気にするなと言う方が無理か。 「ふ、ぁあ〜〜ぁ……」 その途端、気の抜けた声が聞こえた。 火乃木とネルだ。2人が目を覚ましたのだ。 「おはよう」 「あ、レイちゃん……とシャロン、ちゃん……」 「おはよう!」 火乃木がシャロンの顔を見て顔色が変わったのに対し、ネルは普通に俺達に向かって挨拶を交わした。 「シャロンちゃん。目覚めたんだね。おはよう」 ネルはシャロンに近づいていって手を差し出した。 「私はネレス・アンジビアン。ネルって呼んでくれればいいから」 ネルは明るく自己紹介する。そんなネルの振る舞いに、俺は不思議に思った。シャロン本人も火乃木もそうなのか、目を丸くしてネルを見る。 「どうしたの?」 その視線に気がつき、ネルが誰にともなくそう問う。 「いや、随分あっさりしてるなぁと思ってな」 「どうして?」 「だって、ネルさん……その子は……」 シャロンのあの力。それを見た上でこんなに明るく振舞えると言うのはある意味すごい。 俺はシャロンと面識があったし、シャロンを助けるためにここまで来たのだから別だとしても、一度も顔をあわせたことのない2人が自然にシャロンと打ち解けられるとは思っていなかった。 「いつまでも、過去のことに拘っていたら、身動き取れなくなっちゃうよ」 俺達の言いたいことを察してかネルはそう言う。 ああそうか。ネルも俺と同じ考えなんだ。シャロンに本当の意味で罪がないという思いは俺と同じなんだ。 それはきっと傭兵だった頃に培われた考え方なんだろう。 「ね? シャロンちゃん」 ウインクをしてシャロンを見るネル。 シャロンは表情を綻ばせ、ネルの右手に自らの右手を差し出し握手を交わす。 「シャロン……クレスケンス」 「うん。よろしくね」 よかった。 シャロンは1人じゃない。味方になってくれる人間がいる。俺意外にも多くの仲間を、シャロンには見つけて欲しい。俺はそう思う。 一方火乃木は複雑な表情でシャロンとネル、そして俺を見比べていた。 その後、朝食を済ませ、俺とシャロンは例の地下室にやってきた。 目的はシャロンに関する資料。そして、赤いスライムに関する何らかの情報。 俺の勘が正しければ両方ともここにあるはずだ。 火乃木とネルはここにはいない。火乃木は自分の魔術師の杖を探したいと言い出し、ネルと一緒に屋敷中を探している。 「零児……何か探しているの?」 地下室に入って、俺が本棚に並んでいる大量の紙束を取り出して調べ始めたのを見て、シャロンがそう言った。 「ああ、まずはお前に関する資料だ」 「私?」 「お前が何者なのか。人間と同じ生活が適用できるのかとか。まあ、色々な」 「だったら、多分ここにはないよ」 「え?」 俺は絶句した。どういうことだ? 「おじ様と連絡を取っている人がいて。その人が私に関するものを全部持っていったから」 「そうなのか?」 「……(コクン)」 あちゃあ。これじゃあシャロンの正体を知ることも出来ん。いやまあ、知る必要がないといやあ、必要ないんだけど。 「私も……」 「……?」 「自分がなんなのか。知りたい」 「そうか……。だけど、今ここで知ることが出来ないのなら仕方がない」 そう結論せざるを得ない。 なら、とりあえず方針を転換するしかない。エルマ神殿に現れ、そして森の中でもシャロンと俺を襲った赤いスライム。その正体を突き止めたいところだ。 「シャロン。あの赤いスライムについて、何か知っていることはあるか?」 あの時。シャロンと赤いスライムと戦った際、シャロンが何かを知っているかもしれないと思ってはいた。 しかし、その答えを得る前に何者かに頭を強打されて気絶しちまったもんだからそれを聞くことが出来なかったんだよな。 ……? そう言えばあの時俺を殴ったのは何者だったんだろう? 「おじ様は虫のことを、精神寄生虫《アストラルパラサイド》って言ってた」 「アストラル……パラサイド?」 「……(コクン)」 名前の情報があるなら調べるのは早く終わるかもしれない。 俺は早速その名前に該当する資料を探すことにした。 |
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